正式な刑である官刑、家で主に奴隷などに行った刑である私刑を問わず行われた。ただ川に沈めるだけでなく、体に色々な重りをつけて沈めたり、入れ物に入れたりして沈めた。沈める対象は生きている人間だけとは限らず、屍や骨を沈めた例もある。

戦国時代の「西門豹喬(せいもんひょう きょう)、河に伯婦(はくふ)を送る」というよく知られた物語には、この頃から既に人を川に沈める方法があったことを伝えている。魏の文侯が在位中、【業β】(ぎょう)≪華北省臨【シ章】(しょう)県一帯≫の村の長老達が巫女とぐるになって民衆の金を巻き上げただけでなく、川の神の祟りを受けずに怒りを鎮めさせるために、といって毎年娘を【シ章】の川に沈めていた。西門豹という男が【業β】の令(れい・長官)に着任した時に、この奇行の裏を見破り、そのやり口を逆手にとって村の長老達と巫女を川に投げ込んだ。これが、物語の内容であるが、事実である。

上記は刑ではないが、官刑としては戦国時代の前の時代である春秋時代から行われていた。晋の大臣趙簡子(ちょうかんし)は部下の鸞キョウ(らんきょう)を、私の過ちを助長し、善行を阻害する国賊であるとして、川に放り込んだ。鸞キョウは三国時代に蜀を滅亡に追いこんだ元凶であるとされる黄皓(こうこう)のような人物であった。趙簡子が遊びが好きだと言えば舞妓などを送りつけてき、また、王宮の建物がすばらしいと言えばそれに匹敵するぐらいのすばらしい楼閣を建ててくれたのである。そのくせ、才能のあるすばらしい人材を求めていると言っても一向に連れてくる気配がない。このような者が国にとって有益であるはずがない。この刑に処された鸞キョウは当然の結果といえる。むしろ、それにおぼれなかった趙簡子を称えるべきである。

私刑としてはこのようなものがある。同じ春秋時代、魯の成公の11年(前580)に晋の大夫郤シュウ(げきしゅう)が魯の声伯(せいはく)一族との婚姻を迫ったことがあった。声伯は嫌だったので施氏(せし)の妻を略奪して郤シュウに嫁がせた。この女は郤シュウとの間に2人の子をもうけたが、郤シュウの病死後、晋により魯の施氏の元に送り返された。すると施氏はすぐに2人の子を川に沈めた。郤シュウの血が入った子を生かしてはおけなかったのだろう。

ただ川に沈めるだけでなく、色々な方法を付加した記録もある。南北朝時代の北魏の法では巫術(ふじゅつ・神懸り的な煽動方式)で民を惑わせたものは黒羊一頭を背負わされ、さらに犬を一匹括り付けられた状態で川の深みに沈められた。これは明文化して発布されていた。この方法は先に書いた西門豹の故事に倣ったものらしい。この他に、石を括り付けて沈める例もあったらしい。唐の末年に李福(りふく)が南梁州(なんりょうしゅう)に着任したときには、朝廷の官僚達の子弟がその権力をかさにきて荘園や田畑で官府の拘束を受けずに悪事を働きまくっていて、これにより民は甚大な被害をこうむっていた。これを見かねた李福は大きな竹籠を作らせ、もっとも悪質な子弟を呼びつけ、「朝廷で立派に務めている一族の顔に泥を塗る行為である」として、竹籠に押し込めて漢江に沈めた。これには、死後も永遠に牢に閉じ込めておく、という意味があったらしい。これ以降、官僚の子弟による悪事は働かれなくなったという。この竹籠に入れて沈めるという方法は南方の民の間に受け継がれていき、悪人退治の方として使われ、一族間の中で使われる場合は最も重い刑であった。

この刑は生きている人間ばかりを沈めたわけではなかった。古代では、生きた人間を、というよりはむしろ何らかの方法で殺した後にその死体や骨を沈めるということの方が多かった。春秋時代の呉の名臣、伍子胥(ごししょ)は太宰【喜否】(たいさいひ)の讒言にあって自害したが、その屍は呉王夫差(ふさ)により皮袋に入れられ、川に投げ込まれた。後に呉が越に滅ぼされると、美人として名高かった夫差の寵妃西施(せいし)は同じように皮袋に入れられ、川に流された。同じ春秋時代に楚の司馬子期という人物が死後に川に放り込まれたという話もある。五胡十六国時代では西秦の慕末(ぼばつ)帝が弟と叔父の什寅(じゅういん)に謀殺されそうになったが、反対に捕らえて処刑した際、弟は許されたが叔父の什寅は腹を裂いて内臓をつかみ出した後、その屍を川に投げ込んだ。北斉では文宣帝(ぶんせんてい)高洋(こうよう)が、殺した済陰王(せいいんおう)暉業(きぎょう)を川に張った氷に穴をあけて、そこから沈めたという。ちょうど、ワカサギなどの穴釣りのような感じか。唐では天祐2年(905)に正義派官僚である清流派の官僚三十数人が殺害され、黄河という濁流に放り込まれた。金国では正隆6年(1161)に金王完顔亮(かんがんりょう)が皇太后を殺害し、死体を焼いた後にその骨を川に投げ込んだ。

ところで、沈め殺されるときは、死の直前は別に苦しくないらしい。脳に酸素がいかなくなり、気絶状態になるからだという。場合によっては気持ちの良いことさえあるようだ。これは、柔道などの閉め技で落ちる(気絶する)時と同じ感覚だ。だが、死の直前はそうであっても、そこにいくまでの恐怖感といったらないと思う。人間は水の中では息ができないということは日頃から分かっているので、その焦りは尋常ではないからだ。拷問などで水に顔を無理矢理つけるという方法があるのもこうした為だ。ちなみに、もしものときのために水中で長時間呼吸せずに我慢できるようにと訓練する人がいると思うが、この訓練は長時間脳に酸素がいかないので、気がつかないうちに苦しいこともわからずに溺れてしまうことがあるらしいので、やらない方が良い。