春秋時代より殺人の手段として用いられていた。古代、毒薬を盛って人を殺すのは謀略や懲罰の有効な手段であり、中でも常用されたのがこの方法である。口に入れてから絶命するまでの時間が極めて短く、「いまだ胃腸にはいらざるに、すでに咽喉絶ゆ」というほど毒性が強く、解毒剤があっても間に合わないために強力な殺傷力を有していた。その性格ゆえ、懲罰よりもむしろ暗殺に使われた話の方が多い。

鴆は鳥の一種で、鷹よりやや大きく、おおたかや鷲に似ている。黒紫色の羽毛、長い首、赤いくちばしで雄を運日(うんじつ)、雌を陰諧(いんかい)と呼び、江南地方では同力鳥ともいう。中国人は古来よりこの鳥が猛毒を持っていることを知っていて、伝説によれば、鴆はもっぱら毒蛇を食べるためにその毒が体内に浸透し、肉や内臓だけでなく、くちばしや羽毛にまで毒がまわっている。鴆の糞尿を石にかければ溶けて泥のようになり、鴆の巣の下は数十歩以内に草が生えず、鴆が水を飲むせせらぎ周辺の虫類は全て毒にあたって死んだ、とされる。だが鴆毒には毒蛇の毒を分解する力があり、もし毒蛇に咬まれたら、鴆のくちばしの一部を削り取って粉末にして傷口にかければたちまち直るらしい。当然のことながら、何の毒も受けていない人が鴆の肉や内臓を食べればあっという間に死ぬので注意(爆)。羽毛を酒に浸しておけば鴆毒酒となり、これを一口でも飲めば中毒死する。

漢の高祖劉邦の后、呂后(りょこう)は側室の子を、自分の子の帝位を守るために次々に鴆殺(鴆毒で殺すこと)していった。鴆毒による殺人は呂后をはじめ、多くの者が宮廷内の権力争いなどで利用してきたが、それは簡単かつ強力な殺傷力がゆえであろう。

このような強力な殺傷力を有するために、その使用を禁じ、鴆を長江以北に持ち込んではならない、という条例を発したときもあった。しかし、鴆毒は禁止されたものの、あらゆる種類の毒殺が禁止されたわけではなかった。晋代で用いられたのは金屑酒(きんせつしゅ)、つまり、毒性を持つ金属化合物入りの酒であった。晋代以降では、毒殺方法は多様化していったが、最もよく用いられたのは信石(しんせき)である。信石とは、今はやりのヒ素のことである。この時代からあった手法だったとは・・・。確実な死を考えてのことか?まあ、それは良いとして(絶対に良くはない)、鴆毒を使った毒殺の歴史が長かったため、毒を用いた殺害は全て鴆、もしくは鴆殺と呼ばれた。

今日では当時から想像もつかない絶大な効力を持つ化学兵器がたくさんあり、鴆毒は過去の遺物となってしまった。鴆という鳥の存在も定かではなくなってしまったが、最近の事件でよく聞く手法はまさに鴆殺であり、現代に蘇った悪魔の為せる技といえよう。