主に竹を用いた笞杖と異なり、皮製の鞭で行う鞭打ち刑。これも各時代で広く行われてきた。薄刑(軽い刑)に属する。

薄刑とは言うものの、死に至ることもあった。鞭は権力の象徴で、家畜に使うように民を統治するための道具であるとされ、権力の高みにあるものは外出の際、従者に鞭を持たせて露払いをさせ、不心得者がいれば罪の大小によって300回から500回までの処罰を与えた。春秋時代には刑罰として常用されるようになったが、罪にならない些細な過ちを犯した平民や奴僕に対しても行われた。

漢代以降、この刑は廃止されたり復活されたりしたものの、完全に消え去ることはなかった。三国時代、呉の会稽王、孫亮は、あるとき南方からの貢物である、さとうきび菓子を受け取るために黄門侍郎(宦官)を忠蔵吏の所へ使いに出した。その黄門侍郎は忠蔵吏とは仲が悪かったため、菓子の中にねずみの糞を混ぜ、讒言した。孫亮が調べると、以前にも似たようなでっちあげが行われていたことや、倉庫にねずみなどは一匹もいなかったことから、黄門侍郎の髪をそり落とし、この刑に処した。その他、南北朝時代には、かさぶたを食べるのが好きだという理由から罪の有無にかかわらず部下を鞭打ち、その傷にできたかさぶたを食べていたという者もいる。この刑は私刑にも広く使われ、鞭を振るう者の気ひとつで簡単に行われた。

刑具の鞭は牛の皮から作られる。時代によって異なるが、2、3種類あった。法鞭と常鞭と制鞭である。法鞭は、牛の生皮を丸く合わせたもの。常鞭は、なめした牛の皮を合わせた角張ったもの。制鞭は生の牛の皮で角張ったもの。いずれも数本がより合わされて作られていた。

この刑でも、鞭の種類を変えたり、工夫をして痛みを和らげたり、反対にきつくした者もいた。